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北村信彦インタビュー

  
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HYSTERIC GLAMOUR デザイナー 北村信彦インタビュー集

★北村さんは1962年生まれですよね。
「80年はちょうど高校3年ですね。生まれは(東京都世田谷区の)三軒茶屋で、親が家を埼玉の方に建てて一時期そこに引っ越して、でもちょうど高校卒業して僕ひとりだけ三軒茶屋に戻るんですけど」
★音楽はけっこう聴いてたんですか?
「僕が高校生のときって、まだ(渋谷に)タワーレコードもなかったから、輸入盤とかブートレグ(海賊盤)を西新宿(のレコード屋街)に買いに行ってたかなあ」
★西新宿にはどんな系統の音を買いに?
「基本的にはパンクにしてもニューヨーク系が好きだったんで、その辺の手に入っていないアルバムを探したりとか。だから、ザ・ストゥージズ、MC5は当然なんですけど、そこからヴェルヴェット・アンダーグラウンド、モダン・ラヴァーズ、ニューヨーク・ドールズ、ネオン・ボーイズ、テレヴィジョン、ジョニー・サンダース&ザ・ハートブレイカーズ、リチャード・ヘル&ザ・ヴォイドイズとか、その辺は欠かせなかったですね」
★へえー。ちなみにポリスは聴いてましたか?
「聴いてましたよ。でも僕的には1stと2ndなんですけどね(笑)。途中からちょっとアダルトな方向に進み過ぎちゃったでしょ」
★(笑)。
「自分的に印象的なのは、ちょうど高3のときかなあ、『さらば青春の光(Quadrophenia)』って映画あったでしょ?(※79年11月日本公開。ザ・フーのアルバム『四重人格 (Quadrophenia)』からそのタイトルを取り、内容は60年代のモッズ達を描いた映画。スティングがエース役で映画デビューを果たした作品)。あれが公開することが決まって、どこかの会場で試写会があって、学校途中で抜け出して友達と二人で『頼むから観せてください!』って言って、どうにか入れてもらって観た覚えがあるんですけど(笑)。その時に、映画の前にポリスの“孤独のメッセージ”かなんかのPVが流れてて。それはちょっと想い出があるなあ」
★その頃はもう、ファッションにも強く興味を持ってたんですか?
「高3くらいにモッズに興味を持ってましたね。ザ・フーの『四重人格 』の中に写真集入ってるじゃない? あれを見ながら、あと歌詞カード見ながら『モッズって何なんだろう?』って。で、調度そんな興味を持ってるときにその試写会忍び込んで観たから、もう(試写会の)帰りは(主役の)ジミーに成り切ってましたね(笑)。次の休みの日なんて、友達とふたりでモッズの服をずーっと探しに行って(笑)。で、ファイヤー通りにパンク系の“HELLO”って古着屋があって、そこで三つボタンのジャケットを中古で見つけて。あとフレッドペリーは買えないから他の似たようなポロシャツ買って。それから上野の中田商店でモッズパーカー買って---------」
★(笑)。
「それで映画公開の前の日まで、そのモッズパーカーをいい感じに慣らして。で、友達と二人で、その格好で、ロードショーの初日に銀座まで観に行って(笑)」
★ははははは。
「けっこう若い連中が並んでるんですけど、その時はモッズの格好してるヤツとかまだいなくて。それでもう、ウチら、こんなんなって粋がってんですけど(笑)」
★(笑)。
「で映画観終わって出てくるじゃないですか。そうすると、みんなが聞いてくるんですよ。『それ、どこで買ったんスかあ?』って(笑)」
★ははははは。
「もう、二人で『試写会観に行っといて良かったよなあ』みたいな(笑)。『これでベスパがありゃ完璧なのになあ』って(笑)」


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★北村さんは高校卒業後、東京モード学園に入りますが、当時の遊び場っていうとどの辺だったんですか?
「“ツバキハウス”かな。学校が新宿だったから。六本木の“花椿”とか“クライマックス”も行ったけど、“ツバキハウス”はもう毎日のように行ってた。当時まだバイキングみたいなのが置いてあって-----------」
★はははは、フルーツパンチとか(笑)。
「そうそう(笑)。あと、なんかまずーい干しぶどうが入ったピラフみたいなドライカレーみたいなやつとか(笑)」
★はははは! あれは何だったんでしょうね?(笑)。ちなみにツバキでは当時どんな音楽がかかってたんですか?
「ちょうどYMOとかプラスチックスもかかってましたよ。だからそういう連中を通して、初めて邦楽にも耳を傾けたときかも知れない」
★へえー。
「あとね、(80年8月に)武道館で“Pop'n Roll 300%”っていうイベントがあって、それに行きましたね。ちょうど順番がシーナ&ザ・ロケッツやって、次がプラスチックスで、RCサクセションがトリ。で、鮎川(誠)さんとかあの感じだから会場も盛り上がってて」
★はいはい。
「で、なんか知んないけど、その日のライヴはライヴ盤が出るみたいな噂が流れてて、僕、わりと前の方で観てたんですよ。あと、それってプラスチックスが海外ツアーから帰ってきてから初の大きなイベントで、でもプラスチックスになってボルテージ的には落ち気味になって、一曲やるんだけど会場がシーンとなってて、(立花)ハジメちゃんがMCでちょっとたじたじしてて。それで『えっと……次の曲は---------』とか何とか言ってたときに、もうココしかないなあって思ってオレ、『ハジメちゃーん!!!』って叫んだんですよ」
★はははは!
「その瞬間バーンって演奏が始まって、ノリもいい感じになってきて、それで『よーし! これでライヴ盤にオレの声も入っただろうな』って思って(笑)。思ってたんだけど結局ライヴ盤は出ず(笑)、何だあって思ってて。それからもう数年経った頃、ロンドンで(プラスチックスの佐藤)チカちゃんと(中西)トシちゃんが一緒に住んでたときにパーティーにお呼ばれして行ったんですよ。で、そのパーティー終わって帰る間際に『そう言えばトシちゃん、オレ昔さあ、学生のときプラスチックスとか好きで、Pop'n Roll 300%とか行ったんだよね。あれってライヴ盤になるって噂出てなかった?』『あ、出てた出てた』みたいな話になって。で、『オレさ、2曲目の頭で思いっきり<ハジメちゃーん!!!>って叫んだんだよね』って言ったら、『え!? あれノブだったの!? おいチカ! チカ! あの救われた<ハジメちゃーん!!!>って実はノブだったらしいよ!』ってメンバー覚えてて」
★へえー!
「バンド的にはその『ハジメちゃーん!!!』って声で救われて、自分たちもテンションが上がったらしいんだよね」
★それ、すごい話ですねえ!
「それも何年も経った後だよ? それはびっくりして、ちょっとうれしかった」



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★84年に学校卒業してオゾン・コミュニティーに入社した時点で、北村さんはヒステリック・グラマーを立ち上げてますけど、ちなみにニューヨークに行くのはいつ頃なんですか?
「僕が初めてニューヨークに行ったのは86年。ちょうどHYSをやって2年目くらいですね。フランス人の友人がニューヨークに引っ越して、たまたま僕が描いたグラフィックが背中にのってるジャンパーを着てどこかのクラブに遊びに行ったらしいんですよ。で、ある日、夜中仕事してたら電話かかってきて、『きのうクラブ行って、お前のジャンパー着てたら後ろから声掛けられて、<それいいね、誰が描いたの?>って聞かれたんだけど、それ誰だったと思う?』って。『え、誰?』『アンディー・ウォーホールだったんだよ』って」
★えー!
「『え、マジで!?』ってなって。もう当時持ってた車を速効で売って、自分の作品持って、それで初めてニューヨークに行ったんですよ」
★そうなんだ。
「86年の年末ですよね。会社にそんなお金もなかったし、自分の金で行くしかないと思って」
★へえー。
「ただ、結局その時ウォーホールはバカンスでどっか行ってて会えなくて。でも次来た時に会うためのきっかけはつかんだし、初めてのニューヨークだったし、まあ良かったなあって思って。で、帰って、今度いつ行けるんだろうなあなんて思ってたら、翌月の2月22日にアンディー・ウォーホールは死んでしまうんですよね」
★あ、そうなんだ……。
「で、そのニューヨーク行った頃って、川久保玲さん(※コム・デ・ギャルソン)や(山本)耀司さんがアート的なファッション・カタログを作ったりしてて、『ファッション・デザイナーってこういう方向に行かなくちゃいけないのかな? 洋服を建築的に捉えないといけないのかな?』ってHYSの展開についてちょうど悩んでた時期で」
★うん。
「それで、たまたま(クリスチャン・)ディオールのこんな分厚い全集みたいな本と、『The Art of Rock』っていう60年代頃からのロックのポスターが載ってる本があって、それをとりあえず買って、ニューヨークからの帰り飛行機の中でずっと見てたんですよ。そしたら川久保さんとか耀司さんが80年代頭にやってたのと同じようなことをディオールはそこでやってるわけですよ。それで、みんなこういうところから影響を受けてるんだなって気が付きながら、それと同時に『The Art of Rock』の方を見てたら『どう考えてもオレはこっちの世界の方が興味あるし、好きだなあ』って思ってしまい(笑)、そこで吹っ切れたんですよね」
★(笑)なるほどね。
「だったら自分の好きなことやればいいんじゃないかなって。ベティ・ペイジ(※アメリカのアンダーグラウンドなボンデージ系モデル)とかそういうのもアリだとか。ってやってる内にだんだんウチのブランドらしさみたいなものが出てきて、世間の人も受け入れてくれて」
★じゃあ、80年代にHYSの方向性は固まっていったんですね。
「そうですね。やっぱり僕はニューヨークのアンダーグランドなものにすごく憧れてたかなあ。だから86年以降、ニューヨークは年に1〜2回は定期的に行って、それでもう夜な夜な遊び回って。ただ、あの頃のモノクロームなギスギスした感じって、もうないでしょ? ここ最近ニューヨークに行っても、ほんとにクリーンになっちゃって。もうああいう色ってニューヨークにはないのかなあって」



■80’s お宝紹介
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ジョニー・サンダース / 『ハート・ミー』(84年発表)

 当時よく聴いてたジョニー・サンダースの弾き語りのアコースティック・アルバムです。ちょうど自分がHYSやり始めて、ちょっと落ち込んだときとか、よく浸って聴いてました。ボブ・ディランのカヴァー曲もありますね。  ジョニー・サンダースは、86年に初めてニューヨークに行ったときに、偶然クラブで観たんですよ。全然違う目的でそのクラブに行って、違うフロアで騒いでたんですけど、他のフロアも観てみようと思って下へ行ったら、人がたくさん溜まってて何かライヴやってるんですよ。それで『これ、誰?』って聞いたら『ジョニー・サンダースだよ』『え〜!?』みたいな(笑)。ただ、彼はもうヘロヘロでしたけどね(笑)。

※Johnny Thundersは、1952年生まれ。ニューヨーク・ドールズのギタリストを経て、リチャード・ヘルらとハートブレーカーズを結成。1977年にファーストアルバムをリリース。ニューヨーク・パンクのムーヴメントを象徴するアーティスト。 1991年4月、日本公演の直後、ニューオリンズでヘロインのオーバードーズにより急逝。享年38歳。


インタビュー:井村純平(TOKIO DROME/WISDOM)
by saikastyle2 | 2012-05-10 18:41 | ロックファッションとヘアの関係
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