LIFE STYLE CREATION FOR GIRLS&Mrs

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SAIKA LOUNGE

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ナショナルやセイコーなどが昭和の時代に生産していた置き時計はインテリアとしても色やフォルムがとてもよかった!子供の頃、こんな製品を見て、とても近未来的だと思った
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by Saikastyle2 | 2012-01-31 12:25 | ファニチャー

60年代ロック

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バニラファッジ

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いわゆる「アート・ロック」に属している。
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1960年代後半、ベトナム戦争に端を発した価値観の転換が契機となって、芸術や音楽の分野でも、「アングラ」や「サイケ」、「ヒッピー・ムーブメント」といった動きが登場した。そんな中、約3分前後で終わるラジオ向け作品であったポピュラー音楽の在り様に対して不満を抱いた者が、演奏時間や表現手段の拡大を目指して様々な作品を発表し始めた。その流れのひとつとして、ヴァニラ・ファッジを捉える事が出来る。
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この「ラジオ・メディアの都合を無視した長時間の作品」という流れは、1970年代前半に全盛期を迎えた「プログレッシブ・ロック」に受け継がれる事となる。
キープ・ミー・ハンギング・オン
特にカバー曲に名作が多いが、彼らの代名詞となっているのが「キープ・ミー・ハンギング・オン」である。ファースト・アルバムからシングル・カットされた同曲は、元々はシュープリームスが唄って全米No.1となった曲だが、3分くらいだったオリジナルを、スローで色彩感の強い7分の曲にアレンジし、フル・ヴァージョンを収録したアルバム、及びレコード会社の意向で3分ほどに短縮されて収録されたシングルとも全米6位まで上昇した。
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また、日本でも日産・180SXの前期型のCMソングに使われていた。
この曲のメインボーカルを担当したのは、Keyのマーク・スタインである。
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by Saikastyle2 | 2012-01-31 12:14 | 60、70年代ROCK

60年代ファッション(60年代ヘアの解説)

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カトリーヌドヌーブ

子供の頃から大人の女性として憧れの人がドヌーブでした。この女優さん、隙のないほどのエレガントさを持っていてお顔立ち、ヘアやメイク、そしてファッションにおいてもドヌーブそのものがエレガントだとずっとおもってきた存在です

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主な出演作品

悪徳の栄え Vice and Virtue (1962)
シェルブールの雨傘 Les Parapluies de Cherbourg (1964)
反撥 Repulsion (1965)
ロシュフォールの恋人たち Les Demoiselles de Rochefort (1966)
昼顔 Belle de jour (1967)
めざめ Benjamin (1968)
うたかたの恋 Mayerling (1968)
幸せはパリで The April Fools (1969)
暗くなるまでこの恋を Le Sirene du Mississippi (1969)
哀しみのトリスターナ Tristana (1970) - ※キネマ旬報ベストテン第7位
ロバと王女 Peau d'Ane (1970)
ひきしお Liza (1971)
哀しみの終るとき Ça n'arrive qu'aux autres (1971)
リスボン特急 -Un Flic (1972)
モン・パリ - Mon Paris (1973)
哀しみの伯爵夫人 La Grande Bourgeoise (1974)
赤いブーツの女 La femme aux bottes rouges (1974)
恋のモンマルトル Zig Zig (1975)
うず潮 Le sauvage (1975)
ハッスル Hustle (1975)
愛よもう一度 Si c'était à refaire (1976)
終電車 Le dernier métro (1980)
海辺のホテルにて Hôtel des Amériques (1981)
ハンガー The Hunger (1983)
フォート・サガン Fort Saganne (1984)
夜のめぐり逢い Drôle d'endroit pour une rencontre (1988)
恋路 La Reine blanche (1991)
インドシナ Indochine (1992)
私の好きな季節 Ma saison préférée (1993) - ※ビデオ題「背徳のささやき」
百一夜 Les cent et une nuits de Simon Cinéma (1994)
メフィストの誘い O Convento (1995)
夜の子供たち Les Voleurs (1996)
ヴァンドーム広場 Place Vendôme (1998)
ポーラX Pola X (1999)
見出された時-「失われた時を求めて」より- Le Temps retrouvé (1999)
イースト/ウエスト 遙かなる祖国 Est - Ouest (1999)
ダンサー・イン・ザ・ダーク Dancer In The Dark (2000) - ※キネマ旬報ベストテン第9位
8人の女たち 8 femmes (2002)
輝ける女たちLe héros de la famille (2006)
ペルセポリス Persepolis (2007) 声の出演
クリスマス・ストーリー Un conte de Noël (2008)
隠された日記 母たち、娘たち Mères et filles (2009)
しあわせの雨傘 Potiche (2010)
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エレガントなロングヘアは常にドヌーブからイメージを頂く事が多いですね。カーラーで仕上げる巻き髪もドヌーブは常に僕の中でエレガントの頂点にいます
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ハーフアップの雰囲気は、ポイントだと僕は考えています。ドヌーブのハーフアップは小物使いも参考になります
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ドヌーブのアップスタイルは嫌みがなくて普段のファッションとの組み合わせがナチュラルにとけ込んでいます。お洋服だけとか髪型だけとか、そんなちぐはぐなコーディネートがファッション雑誌みていても多いのですが、ドヌーブのコスチュームとヘアの関係はとても自然にとけ込んでいて素敵なんです
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女性が帽を着用するのは現在ではあたりまえになりました!ドヌーブの帽子のコーディネートはどんなシーンでも素敵です
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ドヌーブのナチュラルコーディネートヘアです。髪のわけかたとかボリューム感のだしかたが絶妙です
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by Saikastyle2 | 2012-01-31 12:02 | 60年代ファッション

SAIKA LOUNGE

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ホンダS800


ホンダ・S800(エスはっぴゃく)は、本田技研工業がホンダ・S500、ホンダ・S600に引き続き、Sシリーズの第3弾として1966年1月~1970年5月の間に生産した小型スポーツカーである。略称は「S8(エスハチ)」。
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それまでのSシリーズ同様、京浜精機製作所製の4連CVキャブレターと、等長エキゾーストマニホールドを装備している。縦置きされた水冷直列4気筒DOHCエンジンをフロントに積み、デフから先の動力伝達に2本のローラーチェーンを用いる後輪独立懸架が主な特徴。
シリーズ3作目となるエンジンは、ボア×ストロークがφ60.0mm×70.0mmまで拡大され、排気量は791cc、圧縮比は9.2:1となり、最高出力は70PS/8,000rpm、最大トルクは6.7kg·m/6,000rpmまで向上し、0 - 400m加速は16.9秒、最高速度は160km/hと発表された。エンジンフードの右側にはパワーバルジがあるが、これはダミーである(機械式インジェクションの搭載計画の名残ともされる)。
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ボディータイプも従来通りの、オープンとシューティングブレーク風のクーペ2種類が用意された。
先述のとおり、当初はチェーンドライブであり、リアサスペンションはチェーンケース自体がトレーリングアームを兼ね、それにコイルスプリングを組み合わせた仕様だったが、1966年4月に一般的なコイルスプリングと4リンク+パナールロッドのリジッドアクスルの組み合わせとなった(ホンダはライブアクスル方式と呼称)。
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1968年5月には海外向け(特に北米向け)を基本に国内向けに手直ししたS800Mが発売された。フロントディスクブレーキや13インチラジアルタイヤ、オートチューニングラジオ、ヒーター、サブマフラー、さらにフロントフェンダーにはターンシグナルランプが標準装備されている。S800Mでは国内向けはオープンのみでクーペは廃止された。
総生産台数は1万1,406台。
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by Saikastyle2 | 2012-01-30 17:25 | 昭和エトセトラ

60年代ロック

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ジョージフェイム




60年代のロンドン・モッズシーンを代表するヴォーカリスト&オルガン奏者・ジョージィ・フェイム。
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ジョージー・フェイム(本名クライヴ・パウエル)は1943年6月26日、イングランドのランカシャー州のリーに生まれた。やがて50年代のアメリカン・オリジナル・ロックンロールの数々に刺激された彼は、ロンドンに進出。60年の2月にはジーン・ヴィンセントとエディ・コクランの英国ツアーに参加し、同年の夏にはビリー・フューレイのバック・バンドだったザ・ブルー・フレイムズに加入した。そしてフューレイの元を離れて61年の末には、ジョージー・フェイム&ザ・ブルー・フレイムズとして本格的に活動するようになる。ソーホー地区にあった伝説のフラミンゴ・クラブに出入りするようになった彼らは、やがてその店の看板的存在として脚光を浴びるようになった。いわゆるモッズ・R&B・デイズの始まりである。65年1月にはモンゴ・サンタマリアが原曲となる「イエ・イエ」を全英チャートの1位に送り込む一方、イギリス公演に来ていたモータウンのパッケージ・ショーに唯一の英国組として加わり、シュープリームス、スティーヴィ・ワンダー、マーサ&ザ・ヴァンデラスらと共演するなど、人気を博していく。
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65年にザ・ブルー・フレイムズが解散してからは、ハリー・サウスのビッグ・バンドと共演してジャズ志向を打ち出したり、弦楽奏団とのイージー・リスニング・アルバムを作ったりと、フェイムは自らの音楽的領域を次第に広げていく。本人の意に沿ったものではなかったと伝えられるヴォードヴィル調の「ボニーとクライドのバラード」にしても、67年の暮れに全英で1位となるだけでなく、全米チャートでも4位までランク・インするなど、結果的には彼最大の成功をもたらせた。同時代の英米シンガー・ソングライターたちの作品を取り上げた71年の『ゴーイング・ホーム』や、元アニマルズのアラン・プライスと共同名義で作った『フェイム・アンド・プライス』(71年)、あるいはオリジナル作品を書くことが殆どなかったフェイムが珍しく自作曲ばかりで臨んだ“All Me Own Work”(72年)といったアルバム群も、彼のそうした音楽的意欲を反映したものだった。80年代に入ってからは活動の拠点を欧州に移すなど、やや活動が地味になってきたものの、コンスタントに作品をリリースして熱心なファンの支持を集め続けてきた。
 
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by Saikastyle2 | 2012-01-30 17:13 | 60、70年代ROCK

60年代ファッション

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ジャクリーンケネディオナシスのエレガント

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ジャクリーン・リー・ブーヴィエは、ジョン・ジャック・ヴェルノウ・ブーヴィエ3世を父として、ジャネット・ノートン・リーを母として、その長女としてニューヨークで生まれた。父はフランス系移民で、「ブラックジャック」の異名も持ち、株式仲買人を務め、プレイボーイとしても名を馳せた人だった。母方の家系は農民でジャガイモ飢饉の際にアメリカ合衆国に逃れたアイルランド移民であり、母ジャネットの祖父はニューヨーク州立公立学校の校長、父は銀行頭取であった
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Jacqueline Bouvier(1935年)
しかし、ジャクリーンの両親は彼女の幼少時に離婚し、母ジャネットはヒュー・D・オーチンクロスと再婚した。ジャクリーンには妹がひとりいる。
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継父のオーチンクロスは本邸の他に別邸としてハマースミスファームに広大な屋敷を構えており、穏やかな自然に溢れたその環境をジャクリーンは愛した。ジャクリーンは読書や作詩を好み、継父を慕っていた。彼女と継父は温かい愛情を育んだ。
一方、母親は厳しく彼女を監督しようとした
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ジャクリーンは社交好きの母ジャネットには厳しく躾られた[要出典]という。母ジャネットは古風で厳格な女性で、彼女にエチケットやマナー、着こなしなどを教え込んだ。 乗馬の名手でもあった母の影響で自身も乗馬を始め、それは生涯を通じての趣味となり、馬術競技で入賞を果たすほどに上達した。
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by Saikastyle2 | 2012-01-30 16:58 | 60年代ファッション

60年代ロック

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ザショッキングブルー

ロビー・ファン・レーベン(Robbie van LeeuwenもしくはRobert Leeuwen)がオランダで結成。ボーカルのマリスカ・ヴェレスは、途中参加である。
マリスカはハンガリーとドイツのハーフで、父親がジプシー・オーケストラのバイオリン奏者であったことから、父とともに幼少の頃から歌を歌ってきており、また、ショッキング・ブルーに加入する前にも、いくつかのバンドでボーカルを担当している。
1969年7月に、オランダで、「ヴィーナス」を発売、1970年2月7日のアメリカの「ビルボード(Billboard)」誌にて、週間ランキング第1位を獲得した。同誌1970年の年間ランキングでは第22位を記録し、ショッキング・ブルー最大のヒット曲となった。また、フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、ベルギーでは週間チャート1位を獲得したものの、オランダでの週間チャート最高位は3位にとどまった。 ショッキング・ブルーの成功は、グループのリーダーであり、ほとんどのオリジナル曲の作詞・作曲を行ない、自らは裏方に回ってマリスカを前面に押し出したロビーの手腕によるところが大きい。
彼らはヨーロッパや日本で大きな成功を収めた。
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by Saikastyle2 | 2012-01-29 15:56 | 60、70年代ROCK

60年代ファッション


ナタリードロンのフェミニズム

ナタリードロンは60年代頃はアランドロンの奥様でもあったわけですが、そのセクシーさに当時の10代の青春期の男の子たちは魅了されたものでした

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by Saikastyle2 | 2012-01-29 14:10 | 60年代ファッション

SAIKA LOUNGE

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奥野ビル

1932年(昭和7年)に、当時としては超モダンな「銀座アパートメント」としてオープン。 都内に残る数少ない戦前アパート建築として貴重な一棟。
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当時の建物は事務所の他、一階に貸店舗、小使室、地階に倉庫、男女の区別がされた共同浴室、屋階に談話室、洗濯室が置かれ、2~6階が居住部分とされた。
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六階建という事でエレベーターも一基付けられているが、竣工当時のままに今でも手動で、なんとも味わい深い、レトロな逸品。今、この時代に、銀座のど真ん中でこの型のエレベーターに乗れるというのは貴重すぎるとしかいいようがない。当時のままという事もあって、今にも壊れてしまうんではないかと思うほどだが、乗った時の、当時にタイムスリップしてしまうんではないか?というような気持ちに誘われるのが好きだ。更に当時地下のボイラーから全館にスチーム暖房が施されていたという。から、これにも驚かされる。
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戦前に建てられたビルには深い味わいがあります。当時の建築家は西洋建築に憧れていて細部に渡り西洋な雰囲気にこだわっています。だいたいこんな感じでいいか!という類いのなんちゃって西洋風ではなくて、当時は本物に近いディテールにこだわった仕事をしていて、まさに僕に言わせれば、西洋風ではなくて、これはすでに西洋だとも言えます!
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by Saikastyle2 | 2012-01-29 09:26 | ファニチャー

60年代ロック

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1910フルーツガム・カンパニー
“バブルガム・ミュージック”で検索すると最初にヒットします、『ナインティーン・テン・フルーツガム・カンパニー』と読むバンド名です、序でに説明すると“バブルガム・ミュージック”とは、'70年前後のティーン向けポップミュージックで、“モーニング娘。”に喩えるのが云い得て妙であり、分かり易いかも知れません、明るくてストレートで唄い易い曲が多いです、アメリカの子供が幾つぐらいまで風船ガムを噛むのか良く知りませんが、音楽の視聴層の低年齢化とイギリスのポップミュージックやモンキーズ等のテレビ番組も大きく影響して産まれたのでしょう。
“1910フルーツガム・カンパニー”“レモン・パイパーズ”“オハイオ・エクスプレス”等が思い浮かびますが、グループとしての実態はあやふやであり、モンキーズ等と同様にプロデューサーとソングライターに依って創られた印象があります、ただ、アメリカンヒットチャートを聴いて育った私にとっては思い入れのある曲の多いジャンルであり、日本のグループサウンズや歌謡曲にも大きな影響を与えたと云うか、パクられたフレーズは数知れません。
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by Saikastyle2 | 2012-01-28 17:04 | 60、70年代ROCK